番外編5:許すこと、許さないこと

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あっという間に3月も半ばとなってしまいました。
最近はついついお節介オバサンが顔を出し、依存症関連で言わんでもよいことを夫に言ってしまったりするので気をつけなければと思っています。

さて、今年はセクシュアルセミナーにも参加する機会があり、セクシュアリティについて考える機会が何度かありました。
「あの人は(ゲイだから)こうしてあげよう」とか「あの人は(レズビアンだから)きっとこっちのほうが良いよね」とか、妙な気遣いをせず、単純に快適さを求めた結果が、誰にたいしても楽な世の中になればいいなと思います。
LGBTだから気を遣わ(れ)なきゃいけないなんてことはないと思うので、性にとらわれず、快適なものを選び続けた結果が多くの人に生きやすい世の中につながるのではないかと思いました。

さて今日は「依存症のパートナーを許すこと、許さないこと」について、私なりに考えてみたいと思います。

夫の悪事および性的指向および依存症が発覚したすぐの頃(文字にするとすごい…)、私は夫を「許さない」ことで、自分自身の心の平穏を取り戻しました。※許さないのは悪事であって、後半2つではありません。
夫のしてきた裏切りの数々をなぜなんのきっかけにもなっていない私が許す必要があるのか、一生許さない。そうすることで、鎮まり、落ち着いたのです。

ですが最近、似た境遇の人に「許さないあなたは幸せですか?」と言われました。答えは即答、イエスです。許さないことで心の平穏を得てきたのだから、もちろんイエス。

でも、許さないことって何なんだろう。
「嘘つくなんてヒドイ!」と言いつつ、依存症なんて、嘘で築き上げられたようなもの。それってつまり「依存症」を許せていない、認められていないことになるのかな。

もしかしたら、許さない自分=自分が向き合うことを拒否しているだけで、私は何にも成長していないのかも?わかろうとしていないのかも?という気すらしてきました。

反面、許さないことで自分を続けてこられたのも事実。。むずかしい。

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