第14話:対策にスマホアプリを活用

第13話で記事にした回答フォームをGoogleフォームで作成し、2月から記録付けを初めています。
なんとこれが今のところ大変うまくいっているのです!

理由は恐らく2つ。

まず1つめに、最後の問題行動となった1月下旬のときに、僕の頭の中には「記録付けを2月から始めるんだから、今回で終わりにしなきゃな。」という思いがありました。
問題行動をしながら「これが最後かな…。最後もまあこんなモンだよな。」なんて思ったりしていたのです。
そんなわけで、記録付けを始めるということが自分の中でよい転機になった気がします。

2つめの理由は、記録付けが自分自身と対話するよいツールになっていると感じることです。
僕は今まで日記というものを小学校の宿題以外で付けたことがなく(家計簿は10年以上つけてますが笑)、思い返せば1日全体を振り返るということが人生でほとんどありませんでした。
そもそも僕は性格上の特徴なのか、楽しかったことでも悲しかったことでも過ぎたことにほとんど興味がなく、これから先(といっても数時間後、1日後のレベル)はどうなるかという思考で、まだ起きていないことや明日のことを想像しては一喜一憂して生きてきました。

そんなわけで、今まで寝る前に僕の脳内にあったのは「明日はどんな日か」ばかり。
記録付けを行うことで、今日1日の出来事とそこにあった自分の感情を客観的に振り返られるようになったと感じています。
「今日1日でどれぐらいイライラしたか」、「どれぐらいセカセカした1日だったか」、「問題行動をどれほど起こしそうだったか」といったことを振り返ると、自分が思っている以上に意外と頑張ったな~とか、精神的に張りつめてるな(リラックスしなくちゃ)といったことが分かってきます。

そして「明日はどれぐらい問題行動を起こしそうか」という問いかけで、明日の状況を想像して危険度を自分自身で設定することで、天気予報的な機能も果たしています。
そうやって自分と対話できているな~~と思います。

そして、もう1つ、新しく「Detox – スマホ依存タイマー」という無料アプリを導入しました。

(多くの方がiPhoneユーザーだと思いますが、ざっと調べるに、このアプリはAndroid限定のようです。)

このアプリ、何ができるかというと、タイマーを設定した時間は電話以外のスマホの操作が一切できなくなるアプリなんです。

こんな感じでタイマーを好きに設定し、鍵のマークをタップ。
アラートがでるので「OK」をタップ。

そうすると設定した時間、このアプリが常にスマホ画面の前面に表示されるので、ホームボタンを押しても待ち受け画面さえ表示されません。もちろんアプリの切り替え画面も表示できません。
通知バーこそ、画面端からスクロールして表示できるんですが、何かの通知をタップしても裏でアプリが開く(ことが何となく見える)だけでこのカウントダウン画面が前面に出っぱなしで何も操作ができません。
万が一にも手が滑って10時間とか設定してしまった日には目も当てられなさそうですよね。(笑)

なぜこのアプリを導入したかというと、街でのナンパを除いてほとんどの問題行動にはスマホが欠かせません。
勤務中にネット掲示板などを見る、メールで誰かにコンタクトをとる、実際に会うときに連絡を取り合うなどなど。
そういう風な状態に陥りかけたときに、このアプリで5分でも10分でもスマホが使えなくなると、だいぶ心が我に返る(情熱が冷める)と思っています。

幸いにも最近は問題行動を起こしかけることもないので、このアプリの出番はないのですが、こんな素晴らしいアプリを作り、無料で配布されている開発者の方に心から感謝です!

これからもデジタルを味方につけて、引き続き問題行動からの脱却を図っていきたいと思います。

番外編5:許すこと、許さないこと

あっという間に3月も半ばとなってしまいました。
最近はついついお節介オバサンが顔を出し、依存症関連で言わんでもよいことを夫に言ってしまったりするので気をつけなければと思っています。

さて、今年はセクシュアルセミナーにも参加する機会があり、セクシュアリティについて考える機会が何度かありました。
「あの人は(ゲイだから)こうしてあげよう」とか「あの人は(レズビアンだから)きっとこっちのほうが良いよね」とか、妙な気遣いをせず、単純に快適さを求めた結果が、誰にたいしても楽な世の中になればいいなと思います。
LGBTだから気を遣わ(れ)なきゃいけないなんてことはないと思うので、性にとらわれず、快適なものを選び続けた結果が多くの人に生きやすい世の中につながるのではないかと思いました。

さて今日は「依存症のパートナーを許すこと、許さないこと」について、私なりに考えてみたいと思います。

夫の悪事および性的指向および依存症が発覚したすぐの頃(文字にするとすごい…)、私は夫を「許さない」ことで、自分自身の心の平穏を取り戻しました。※許さないのは悪事であって、後半2つではありません。
夫のしてきた裏切りの数々をなぜなんのきっかけにもなっていない私が許す必要があるのか、一生許さない。そうすることで、鎮まり、落ち着いたのです。

ですが最近、似た境遇の人に「許さないあなたは幸せですか?」と言われました。答えは即答、イエスです。許さないことで心の平穏を得てきたのだから、もちろんイエス。

でも、許さないことって何なんだろう。
「嘘つくなんてヒドイ!」と言いつつ、依存症なんて、嘘で築き上げられたようなもの。それってつまり「依存症」を許せていない、認められていないことになるのかな。

もしかしたら、許さない自分=自分が向き合うことを拒否しているだけで、私は何にも成長していないのかも?わかろうとしていないのかも?という気すらしてきました。

反面、許さないことで自分を続けてこられたのも事実。。むずかしい。